コードは言語である。株式会社メディアセットの「書く文化」

株式会社メディアセットの大事にする文化

言葉は、世界を記述する。
そして、コードは、組織の思想を記述する

株式会社メディアセットにおいて、コードを書くという行為は、機能を実装すること以上の意味を持つ。
それは、組織の価値観や判断の根拠、未来の拡張性まで含めて「記述する文化」なのだ。

書くことは、残すこと。残すことは、つなぐこと。

メディアセットの開発現場では、「書く」という行為がとにかく尊重されている。

  • コードレビューで書かれるコメントは、対話の延長ではなく“記録される議論”
  • README や ADR(Architecture Decision Record)は、今の決断の理由を未来へ渡すドキュメント
  • Notion に記された設計意図は、技術者同士の“認知を合わせるための言語”

「書く文化」は、引き継がれる組織をつくる。
過去の自分や他人がなぜその判断をしたのかを読み解くことで、組織は自己学習する構造を持つようになる。

言葉では何とでも言える。
だが、コードは嘘をつけない。

  • 誰が書いたか、なぜそう書いたか、どうしてそこが変わっていないのか
  • コメントより、構造こそが“今の理解レベル”を物語る
  • 凝った設計ではなく、“誰でも読めること”が美徳とされる

メディアセットでは、「読まれることを前提としたコード」が求められる。
それはつまり、他者への配慮と敬意が前提になっている開発文化であるということだ。

書き手の数だけ、言語がある。その違いを力にする

開発チームには、それぞれ異なる書き方・考え方を持ったエンジニアがいる。
メディアセットでは、その違いを統一しようとはしない。

  • 「誰のコードか」がわかることは、責任ではなく個性の現れ
  • 書き方の違いを見つけて、そこから議論が始まることに価値がある
  • 共通のスタイルより、共通の意図が共有されていることが大事

つまり、「多様な言語で書かれたコード」を一つの文化圏にまとめて運用できる組織設計こそが、メディアセットの技術的強さなのだ。

書くことに“間に合わせ”はない

「とりあえず動くからOK」は、短期的には便利だ。
だが、メディアセットでは**“書き捨て”を文化として許さない。**

  • 機能より、思想を残す設計
  • 仮設計のまま進むときは、必ずそれを明記する
  • 「時間がない」ではなく、「時間を未来から借りている」と考える

こうして、書かれたコードはプロダクトの血肉となり、ドキュメントは組織の脳になる。
「適当に書かれたもの」は、そのまま組織の思考力の低下につながると認識されている。

メディアセットが変化に強いのは、アーキテクチャの選定が優れているからではない。
それ以上に、「なぜ、いまそれを選んだのか」を全員が説明できるからだ。

  • 変更理由をきちんと文書に残す
  • スラックでのやりとりもアーカイブして共有する
  • 会議ではなく、「書いてから集まる」が基本

このような書く文化によって可視化された知識と文脈が、技術的選択肢のリスクを減らし、組織の柔軟性を保っている。